もしもの革新

 政府の非常事態宣言の延長が決った日、愛知では4日前に延期が決まっており、大阪では緩和の検討をしているというまとまりのない中で、本当のところはどうなのか、毎日の統計数をどう見て、何を信じていればいいのか、このような時、国がどこまでリーダーシップを発揮するのか、或いは地方の首長のリーダーシップを発揮するのか、これは地方分権道州制のテーマにもつながる事なのなのだろうけれど、現状制度では国のリーダシップを期待するしかないのでしょう。

 毎日出る新規感染者数と死者数。これを県ごとの人口数で%で比較するとまた違った見方もできるのではないかと思うのだけれど、どちらにせよ数字に一喜一憂できる状況ではないのでしょう。益々の不安と先行きの見えないイライラが蔓延し、どんな形で爆発するのかもこれまた不安です。

 この状態がいつまで続くのか、出口がないことはない、いつかは出口に立つ日がくることはそのとおりなんでしょうが、それとは別に、このような「STAYHOME」の状態がエンドレスに続くと仮定したし時、私たちは何をどうすればいいのか、座して死を待つわけにはいかない。何年も続いても対抗できる商業・工業・教育の在り方など、それぞれの分野の革新は模索していく必要を感じます。

自粛と禁止のはざまで

 行政府が出す要請に罰則がないことに賛否があります。罰則がないから守られない、手ぬるいとした意見。に対し、日本はそういう国なのだ、罰則がなくとも自制を利かせることができる、だからこそ平和で自由な国でいられるのだと。どちらかと言われれば後者なのかもしれません。

 海岸でサーフィンに興じる若者たち、他県にパチンコに行く人たちには、自粛の声が届ていいないのでしょうか?おそらくそうではなく、届いていても自粛する気がないのでしょう。つまり自粛はあくまで「自」を「粛」するであり、他人に促されることはあっても、最終的には人に強要されることではないからです。

 この場合、経営者が使うのなら「営業を自粛します」或いは「入店禁止」が正しいでしょう。海岸などは管理者がいないのですから「立ち入り禁止」になります。ただし難しいとこですが、屋外の場合すべてを立ち入り禁止にしてしまうと付近の住民の散歩の妨げになってしまうことにもなります。それでもやはり、「禁止」でよいのでしょう。

 「禁止」場所へ立ち入ったその先に、罰則を付けるかどうか、相手が「自粛」してくれるかは別の話として、「してはいけない事」、「されたくない事は」自分の事してとらえる言い回しをするべきでしょう。

 「自粛」もそうですが「ご遠慮ください」も同じ響きを持っています。日本人の美徳でもありますが、イメージを守るためであったり、責任回避の意味合いも含んで使われている事もあるように感じます。はっきりと打ち出さなればならない時の言い回しとしてはいささか不十分だとも思うのです。

何を活かすべきか

 「新型コロナウイルス感染一連のなかでいいこともあるさ」等と軽口をたたくつもりはありません。ただ不幸にも不便に感じることが起きているのは事実です。それを克服していこうと頑張っておられる方がいます。それならば元に戻すのではなくて、もう少し想いを先にめぐらし、元の暮らしに戻った時、誰もが住みやすい社会、暮らしになるようになっているようにしたいと思います。

  トリアージという手法があります。今回でもそうなのですが、主には災害に使われます。死亡、緊急処置、軽傷などの区別をするタグをつけ対応をしていくやり方です。政治の分野、社会形成の中でも、緊急性の高いものから低いものへ、死体のごとく見て見ぬふりをされるものもあります。でも今回の不便さは本来の死体ではないわけで、掬い上げたら救えるものも沢山あるはずなのです。

 苦しい、不便と感じるのは世界共通の声です。しかし、これが去ってしまえば、一部の人の不便さ、息苦しさのみが取り残されたままになってしまいます。高齢者は高齢者の、子供は子供の、障害者は障害者の、それぞれが普段から抱える不便さがあります。それかこのコロナウイルスによってみんなの不便さと重ね合わせ、これを改善・克服できれば、世界を巻き込み、多くの死者まで出した新型コロナウイルスへやり場のない怒りや焦燥感といったものに対するせめてもの心の落としどころになるのではないでしょうか。