芸術を志す者の才能とは

 私の写真は才能がないと思っている。上手い下手を決めるものは、実は技術的なものは些細なことに過ぎなくて、大半は感性できまるものだと思っている。「何を撮りたいか」「どうして撮りたいか」それは「何を感じ」「何を伝えたいか」これらがしっかりある写真こそが上手い写真と言えるのであって、いくら技術でカバーしてもないものは薄っぺらい写真になり、あるものはたとえ技術は足してなくても、伝わるものがある上手い写真といえる。

 ある意味それは撮り手の人生経験の厚みによるものでもある。若いから少ないものでもなければ、年を重ねたから豊富というものでもない。社会と触れ合い、いかにものを考え自分自身の感性を磨くか。これが一枚の写真を産み出す才能、センスとなる。

 音楽家であれば、曲に秘められた感情をどう伝えるか、感情を伝えるためには、体験から呼び覚ますところが多い。画家の作風イメージは日頃の経験、思想の積み重ねであったりする。

 「ただ演奏する」「ただ描く」だけでは伝わる物がないごとまねになる。常に感性を磨く、芸術家の永遠のテーマになるのだろう。